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浦和地方裁判所 平成2年(わ)213号 判決 1991年3月22日

主文

被告人を懲役二年に処する。

未決勾留日数中三〇〇日を右刑に算入する。

訴訟費用中証人Aに支給した分の二分の一を被告人に負担させる。

変更後の訴因にかかる公訴事実中、被告人が「輩下組員Aら及びB組員ら計一〇名と共謀の上Cを後ろ手にしてその手首を鎖で結わえて車両トランクに押し入れ、平成元年一一月一五日午前三時三〇分ころ、埼玉県南埼玉郡<住所略>南西約三八メートルの元荒川左岸土手上に運び、殺意をもって、同所から土手下に放り投げるなどした上、同川内に蹴落とし、更に同人を水中に押し沈め、そのころ、同所において、同人を溺水により窒息死するに至らしめたものであるが、被告人は、右C殺害の意思を有しなかったものである。」との点につき、被告人は無罪。

理由

(犯行に至る経緯)

被告人は、埼玉県桶川市の中学校を卒業後、工員や食堂の店員などとして各地を転転とするうち、暴力団○○連合会T一家の幹部と知り合ったのが契機で、昭和四六年一月ころ、同連合会Y一家の組員となり、その後同一家内で、埼玉県桶川市を縄張りとする甲田組を組織してその組長となるとともに、Y一家の本部長を兼ね、組長代行のDことD(以下「D」という。)、幹部組員A(以下「A」という。)ら輩下数名を従えていたものである。

ところで、被告人は、かつての自己の舎弟で現在は前記Y一家総長(F。以下「F総長」という。)の預かりの身分となっているC(昭和二三年六月一三日生。以下「C」という。)の酒癖が悪く、同人に自己の顔を潰されるようなことがしばしばあったため、かねてよりその行状を苦苦しく思っていたが、平成元年一一月一四日午後一〇時半ころ、前記F総長らと麻雀をしていた際、同じY一家B組の組長B(以下「B組長」という。)から、その実兄N(以下「N」という。)が経営するビデオレンタル店「ルート××」(埼玉県桶川市<住所略>所在。以下「ルート××」という。なお、右「ルート××」は、甲田組の縄張り内の店で、同組から造花のリースなどを受けていた。)でCが暴れたのでヤキを入れてやるとの電話連絡を受けたため、右麻雀終了後自らB組長と電話連絡を取った上で、翌一五日午前零時三〇分ころ、電話で呼び出した前記A運転の車で、ひとまず、自己の妻らが経営している焼鳥屋「△△ちゃん」(埼玉県桶川市所在。以下「△△ちゃん」という。)に入り、その後同日午前一時五〇分ころ、再びA運転の車で、B組長らの居るスナック「しろ」(埼玉県上尾市柏座所在)に赴いた。

同店内において、被告人は、B組長及び同組員数名(S、K、M、U、G及びO。以下、順次「S」、「K」、「M」、「U」、「G」、「O」という。)らの面前で、Nから、「ルート××」内におけるCの行状(「甲田組との造花の付き合いをやめて、俺の所の広告代に付き合え。」などと暴言を吐いたり、ビデオテープを床に落したりして大暴れしたことなど)を聞かされた上、「そういう時のために甲田組と付き合っているのだから甲田組はしっかりやって欲しい。」とまで言われるに及び、甲田組の縄張り(いわゆる「シマ」)の中で、甲田組の存在を無視するかのように振る舞うCの言動で面目をつぶされたと思って立腹し、自己の輩下をC方に差し向けていためつけた上甲田組事務所へ連行させて同人に制裁を加えるほかないと考えるに至り、付近の公衆電話から輩下のDとE(以下「E」という。)に対し、直ちに前記「△△ちゃん」へ行くように指示したのち、自らも、一旦外出していたAの帰りを待って、同人運転の車で「△△ちゃん」へ向かった。

(罪となるべき事実)

被告人は、平成元年一一月一五日午前二時四五分少し前ころ、右「△△ちゃん」へ向かう途中の車内において、前記のとおりC(当時四一歳)をいためつけた上甲田組事務所へ連行させて制裁を加える意図のもとに、輩下組員のAに対し、「Aよな。兄貴にああいう風に言われちゃあな。しょうがないよな。これからCをぶっちめて縛って西口の事務所(埼玉県桶川市<住所略>にある甲田組の事務所のこと)に連れて来い。」と指示したところ、Aにおいても、前夜Cの自宅で、同人が作成した誤印刷のある電話帳を、そのまま配布してしまったことで、同人に口汚く面罵されたことや、最前Nに聞かされたCの傍若無人の言動にいたく憤激していて、Cに制裁を加えたいという気持になっていたところから、右被告人の指示を機にこれを実行する気になり、「はい、分かりました。」とこれに応じ、ここに被告人は、Aとの間で、Cに対し暴力を用いて制裁を加える旨意思相通じ、共謀を遂げた上、次いで間もなく車が右「△△ちゃん」に到着するや、同店入口付近に出て来たD及びEに対し、「Aに言ってあるから、お前らも一緒に行ってやれ。」との指示を下し、直ちにその意図を察知した右両名との間でも、Aと行動を共にしてCに制裁を加える旨意思相通じ共謀を遂げた。かくして、被告人の意を受けたA、D及びEの三名が、前記M及びOとともに、ひとまず前記Nの内妻が経営するスナック「○△」(桶川市<住所略>所在)に赴いたところ、同店には、前記一連の経緯により、Cの言動にいたく憤激し、同人に制裁を加えたいと考えていたB組長やその輩下組員数名(S、K、U及びG)が結集していたため、Aは、同店前路上にSを呼び出してC制裁の決意を披歴するなどし、ここにおいて被告人は、Aを介してSらB組の者との間でも、Cに対し暴力による制裁を加える旨意思相通じ共謀を遂げた。そして、同日午前三時ころ、A、D、E、S、K、M、U、G及びOの総勢九名は、埼玉県桶川市<住所略>のC方に三台の自動車に分乗して押し掛け、全員車外に出てその玄関先を取り囲み、AがCに声を掛けて玄関のドアを開けたところ、Cが玄関の所まで出てきたので、Dにおいて同人の襟首をつかんで同人を玄関前路上に放り出して四つんばいにさせた上、こもごもその頭部・背部・腹部等を多数回にわたり金属製特殊警棒及び木刀で殴打したり足蹴にするなどしているうち、同人が隣家の車庫のシャッターにぶつかって大きな音を立てたのを機に、発覚を恐れて急きょ場所を変えることとなり、K運転の自動車にCを乗せ、同じく三台の自動車に分乗して同市<住所略>パチンコジャンボ桶川店駐車場までCを連行した上、同所において、引き続き同人に対し、こもごもその頭部・背部・腹部等を多数回にわたり金属製特殊警棒及び木刀で殴打したり足蹴にするなどし、よって同人に対し、加療期間不明の頭部挫裂創・裂創、左耳翼挫裂創、左第三ないし第五肋骨骨折などの傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)<省略>

(傷害罪の成立を認めた理由及び傷害致死の点につき被告人の共謀加担を否定した理由)

第一  本件公判の経過

本件公判の経過については、以下のような極めて特異な事情が存し、右経過が、本件の争点及びこれに対する判断と密接に関係していると思われるので、最初に、この点に関する経過の概要を明らかにしておくこととする。

1  本件公訴事実は、当初、「被告人は、博徒○○連合会Y一家内甲田組組長であるが、同一家幹部C(当時四一年)が、同一家内B組組長Bの実兄でビデオレンタル店を経営するNに対し、『毎月五〇〇〇円で入れている甲田組の造花を買い取るから、以後毎月三万円を俺に払え。』などと要求した上、同店で暴れたことなどに憤慨し右Cに制裁を加えることを企てて、輩下組員のAら及び右B組の組員ら計一〇名と共謀の上、平成元年一一月一五日午前三時ころ、右Aら九名において、埼玉県桶川市<住所略>前記C方に押しかけ、同人を、同人方玄関口からその前路上に引きずり出し、その頭部・背部・腹部等を数十回にわたり金属製特殊警棒及び木刀で殴打したり足蹴にするなどした上、普通乗用自動車後部座席に押し入れ、同市<住所略>パチンコ遊技場『ジャンボ』駐車場に連行し、同所において、引き続き同人に対し、その頭部・背部・腹部等を数十回にわたり右金属製特殊警棒及び木刀で殴打したり足蹴にするなどし、次いで、同人を、後ろ手にしてその手首を鎖で結わえて同様車両トランクに押し入れ、同日午前三時三〇分ころ、同県南埼玉県<住所略>南西約三八メートルの元荒川左岸土手上に運び、同所から土手下に放り投げるなどした上、同川内に蹴落とし、更に水中に押し沈め、そのころ同所において、同人を溺水より窒息死するに至らしめたものである。」というものであったところ(なお、検察官は、右公訴事実は、逮捕監禁について起訴している趣旨ではない旨釈明した。)、これに対し被告人は、第一回公判期日において、「Cに注意をしても分からなければ焼きを入れるつもりで、Aに、Cを連れて来いと指示したことはあるが、Aがどういうことをしたかは、当時知らなかった。起訴状記載の傷害致死の事実はあとから聞いたことであり、当時、予想もしなかった。」旨陳述し、弁護人は、「Cの死は、Aらによる殺意に基づく暴行という、被告人の意思とは無関係な行為によって惹起されたものであるから、被告人に対し傷害致死罪の刑責を負わせることはできない。」との趣旨の陳述をした。

2  ところで、検察官は、第一回公判期日における冒頭陳述において、被告人がCの行動により「縄張りを荒された上、B組長の面前で恥をかかされたこと」から、若衆を使ってCをシメさせる、すなわち暴力による制裁を加えようと決意し、Aに対し、「これからCをぶっちめて縛って西口の事務所へ連れて来い。」と指示するなどして同人と共謀を遂げ、更に、D及びEとも共謀を遂げたこと、右Aらは、その後、B組のSらとともにC方に赴き、同人方前路上(以下「第一現場」という。)及びジャンボ駐車場(以下、「第2現場」という。)において、同人に対し、公訴事実記載のような激しい暴行を加えたこと、Aらは、右のような極めて強度な暴行を加えたことからCが死亡したかもしれないと思っていたが、同人が、「死なねえよ。」などと言ったことから、同人が死亡していないことが分かったので、他の場所へ連行して同人を殺害しようと企て、公訴事実記載の方法で、元荒川左土手上(以下、「第三現場」という。)に同人を運んだこと、Aらは、同所において、同人を足蹴にして土手下から川の中に蹴落とし、その身体を持って数分間水中に沈めて、溺水により窒息死させ、これを殺害したことなどの事実を主張した。

3  これによると、検察官は、被告人に対し、AらがCを死亡させたことについて、いずれにしても傷害致死罪の限度で共謀共同正犯の刑責を追及していることが明らかであるが、右冒頭陳述による検察官の主張は、Aらの殺意の存否の点で、前記公訴事実の記載と矛盾していた。すなわち、前記のとおり、公訴事実では、Aらの殺意について全く触れるところがないので、これを素直に読む限り、検察官は、Aらも終始殺意なくして行動していたと主張していると解するほかないのに、冒頭陳述においては、第二現場における暴行の終了後、AらがCに対する確定的殺意を生じ、第三現場において同人を殺害した旨明確に主張するに至っていたのである。

4  そこで、当裁判所は平成二年八月二日付書面により、検察官に対し、公訴事実と冒頭陳述の間にくいちがいがある旨を指摘した上で、検察官に対し、その主張を明確にし、必要な措置をとるよう命じた。しかし、これに対する検察官の釈明は、「Aらには殺意を認定するに足りる証拠が認められたが、被告人については殺意を認定するに至らなかったことから、被告人を傷害致死罪で公判請求したが、共犯者間に錯誤があったので、冒頭陳述においては、Aら共犯者らの殺意を記載したものである。」という、甚だ要領を得ないものであった。

5  しかしながら、検察官の右冒頭陳述におけるように、Aらが、第二現場での暴行終了後確定的殺意を生じて第三現場での殺害行為に及んだのが事実であるとすると、第三現場での殺人行為は、第一、第二現場における暴行(ないし傷害)とは別個独立の併合罪を構成する疑いを生じ、右の罪数判断は、共謀のみに関与した被告人の刑責の限度(具体的にいうと、第三現場における犯行についての共謀共同正犯の成否)に、重大な影響を及ぼす公算があると考えられた。

6  また、前記公訴事実には、取り調べた証拠によって明らかな第一、第二現場におけるCの受傷の事実の記載がないので、もし第三現場におけるAらの行為について被告人の共謀共同正犯の刑責が否定されると、たとえ第一、第二現場の行為について共謀責任が肯定された場合でも、証拠上明らかな右受傷の結果について被告人に刑責を負わせることができず、被告人に対しては、単純な暴行の責任しか問うことができないという不合理を生ずることとなり、また、他方、弁護人の同意のもとに取り調べたA、Eら実行行為者らの供述調書中には、同人らが第一現場の段階から既に殺意を抱いていたとの記載又はこれを窺わせる記載もあるので、第二現場での暴行終了後Aらが殺意を生じたという冒頭陳述の主張も、証拠と抵触する疑いがあった。

7  そこで、当裁判所は、第四回公判期日において、右5、6の問題点を解消するため、検察官に対し、別紙一の内容の釈明命令を発したところ、検察官は、平成二年九月二七日付で、別紙二の内容の釈明書を提出した。

右釈明書には、(1)検察官は、Aらの第一ないし第三現場における行為は、一罪の関係にあるとして起訴したものであること、(2)検察官としては、第一、第二現場におけるCの受傷の事実についても、公訴を提起している趣旨であること、(3)実行行為者らの殺害の意思は、被告人の制裁命令によって生じたものであるから、起訴状と冒頭陳述の各記載は矛盾しないと考えられること、(4)冒頭陳述の記載は、Aらが、第一、第二現場から、殺意をもって行動していたことを否定する趣旨ではなく、同人らは、当初から殺意を抱いていたものであることなどが記載されていた。

8  しかし、右釈明書中(1)の点はともかくとして(冒頭陳述主張の事実関係による限り、Aらの行為を一罪と解し得るか疑問のあることは、前記5記載のとおりであるが、この点は、ひとまず措くとして)、(2)ないし(4)の点は、法律論として到底成り立つ余地のないものである。すなわち、(2)の第一、第二現場におけるCの受傷の点は、公訴事実中に全く記載がないのであって、このような事実について検察官が公訴を提起していると解するのは、起訴状の合理的解釈によっては到底無理であるし、(3)記載の釈明は、その趣旨を合理的に忖度することすら困難で、前記4の釈明と同様、依然として、法律的主張としての体をなしていない。更に、(4)に至っては、冒頭陳述の内容を無視した牽強附会の議論というほかない上、右主張は、公訴事実との矛盾をいっそう拡大するものである。

9  そこで、当裁判所は、第五回公判期日において、右(1)(2)の点については、釈明書に基づく釈明をさせたが(右(2)の釈明は、明らかに不合理であったが、検察官が、「現段階において受傷の点について訴因の変更を請求するつもりはない。」旨釈明したので、それはそれとして受け容れざるを得なかった。)、(3)(4)の点については釈明を許さず、「訴因及び冒頭陳述の変更手続を経ないままそのような主張をすることは許されないので、検察官は、訴因及び冒頭陳述の変更をするか否かについて再度検討」するよう求めた。

10  第六回公判期日において、検察官は、一〇月一五日付訴因変更請求書に基づき、「被告人は、博徒○○連合会Y一家内甲田組組長であるが、同一家幹部C(当四一年)が、同一家内B組組長Bの実兄でビデオレンタル店を経営するNに対し、『毎月五〇〇〇円で入れている甲田組の造花を買い取るから、以後毎月三万円を払え。』などと要求した上、同店で暴れたことなどに憤慨し、輩下組員Aら及びB組員ら計一〇名と有形力を用いて右Cに制裁を加える旨の共謀を遂げ、平成元年一一月一五日午前三時ころ、右Aら九名において、埼玉県桶川市<住所略>前記C方に押しかけ、殺意をもって、同人を同人方玄関口からその前路上に引きずり出し、その頭部、背部、腹部等を数十回にわたり金属製特殊警棒及び木刀で殴打したり足蹴にするなどした上、普通乗用自動車後部座席に押し入れ同市<住所略>パチンコ遊技場『ジャンボ』駐車場に連行し、同所において、引き続き同人に対し、その頭部、背部、腹部等を数十回にわたり右金属製特殊警棒及び同木刀で殴打したり足蹴にするなどし、次いで、同人を、後ろ手にしてその手首を鎖で結わえて同様車両トランクに押し入れ、同日午前三時三〇分ころ、同県南埼玉郡<住所略>南西約三八メートルの元荒川左岸土手上に運び、同所から土手下に放り投げるなどした上、同川内に蹴落とし、前記一連の暴行により同人に加療期間不明の頭部挫裂創・裂創、左耳翼挫裂創、左第三ないし第五肋骨骨折などの傷害を負わせ、更に同人を水中に押し沈め、そのころ、同所において、同人を溺水により窒息死するに至らしめたものであるが、被告人は右C殺害の意思を有しなかったものである。」との事実への訴因変更を請求した。これによると、実行行為者たるAらは、第一現場の段階から殺意をもって行動していたこととされ、また、第一、第二現場におけるCの受傷の事実も明確に記載されているので、変更請求前の訴因におけるような主張と証拠の明白な矛盾は解消し、右主張を前提とする限り、第一ないし第三現場におけるAらの行為が一罪の関係に立つという前記7(1)の釈明も、一応、形式的な整合性を取得するに至った。

11  検察官は、右訴因変更請求にあたり、「一 起訴検察官としては、起訴状記載の公訴事実においても、Aらは当初から殺意をもってCに攻撃を加えたという事実を前提としていたが、Aらの殺意の有無は、被告人の刑責に影響を及ぼさないと考えて、あえて記載しなかったものである。しかし、裁判所が、起訴状にAらの殺意の記載がない以上、冒頭陳述で右殺意を主張することは許されないとの意向のようであったので、右の点を明らかにするため、訴因の変更請求をしたものである。

二 第一、第二現場における暴行による被害者の受傷の点も、起訴検察官としては、前回の釈明のとおり、あえて不問に付する意思ではなかったので、右一の訴因変更をする機会に、併せて訴因を明示することにした」ものである旨釈明したが、右のうち特に「一」の点は、にわかに納得し得るものではなかった。なぜなら、被告人に対し、最終的に傷害致死罪の限度で刑責を追及する点で変りがないとはいえ、(1)実行行為者が終始殺意なくして行動していた場合と、(2)殺意に基づく殺害行為を実行したが、共謀者たる被告人自身に殺意がなかったというだけの理由で傷害致死罪の限度でしか共犯が成立しないという場合とでは、明らかに事実関係及び法律構成を異にするのであり、(2)の場合であれば、公訴事実自体にその旨明記すべきであって、現に、実務においても、そのような取扱いがされているからである。しかし、当裁判所は、本件事案の特殊性、重大性、複雑性等の事情にかんがみ、弁護人の異議にもかかわらず、右訴因変更請求を許可することとした。

12  右変更後の訴因に対する被告人・弁護人の陳述は、基本的に従前と変りはなく、検察官は、右公訴事実に副って、冒頭陳述をも一部変更した。なお、弁護人の書証に対する認否は、従前、Aらの殺意が明示されていない公訴事実を前提とするものであったので、変更後の訴因において、検察官が第一現場からのAらの殺意を主張するに至った以上、一旦双方の合意により関係書証を排除した上、改めて書証の認否をし直すのが筋と思われたが、右のような手続が訴訟関係を複雑・難解にすることにかんがみ、弁護人が、基本的に従前の認否を維持し、その信用性を争うに止めたので、これを前提とした上、検察官が新たに請求した証人A及び同Dの各尋問を行い、これに関連して、詳細な被告人質問をも行った上結審した。

第二  基本的事実関係及び争点の所在

1  取り調べた証拠を総合すると、Cの行状に憤激した被告人が、輩下のAらに対し、「Cをぶっちめて縛って西口の事務所へ連れて行け。」と指示したところ、右指示を受けたAらは、B組の者と一緒になって、総勢九名でC方へ押しかけ、第一、第二現場で同人に激しい暴行を働いて判示重傷を負わせたこと、また、Aらが、第二現場での暴行終了後、Cを第三現場へ運んだ上、公訴事実記載の方法で同人を窒息死させたこと、及び右第三現場におけるAらの行為が、Cを殺害する目的で敢行されたものであることなどの点は、極めて明らかであると認められる。

2  被告人は、Aらの右犯行に関する共謀共同正犯の刑責を(ただし、被告人については、殺意を認定すべき証拠がないところから、傷害致死罪の限度で)追及されているのであるから、右刑責を肯定するためには、(1)被告人がAらとの間で、C襲撃の謀議を遂げたこと、及び(2)Aらが右謀議に基づきCを攻撃し死亡させたことの二点が、いずれも肯定される必要がある。ところで、判示認定の事実関係によると、右(1)の点は、一見証拠上異論はなく肯定されそうに思われるが、本件においては、右認定事実中でも触れているとおり、被告人が指示した行動とAらが現に実行した行動との間には、かなり大きなくいちがいがあるため、被告人とAらとの間に、右襲撃自体に関する謀議が成立したといえるかどうかについても、異論を容れる余地が全くないわけではなく、また、かりに右謀議の成立を肯定したとしても、Aらが、検察官の当初の冒頭陳述のように、第一、第二現場の暴行の際は殺意を抱いておらず、右暴行終了後確定的殺意を生じて第三現場での殺害行為に及んだのであるとすれば、右第三現場での殺人罪は、第一、第二現場での暴行(傷害)罪とは別個独立の犯罪(併合罪)を構成し、右殺人が被告人との謀議に基づくものではないと解する余地を生ずる。

3  当裁判所は、被告人の刑責の有無・限度を決するにあたり、右のように、第一、第二現場における犯行と第三現場における犯行との罪数関係が重要な意味を有し、また、右罪数判断は、Aらの殺意発生の時期・態様により大きく左右される可能性があると考えたので、前記第一記載のとおり、検察官に対しくり返し釈明命令を発して、その主張の明確化を促してきたものであり、右認識は、現在においても、いささかも変っていない。そこで、以下においては、まず、(1)事実認定の問題として、本件犯行の客観的事実関係の詳細を明らかにし、次に、(2)これとの関係において、Aら実行行為者の殺意発生の時期・態様を検討し、しかるのち、これを前提として、(3)第一、第二現場の行為と第三現場での行為の罪数関係を確定し、その上で、(4)右各犯行に関する被告人の共謀共同正犯の刑責の有無を検討することとする。

第三  客観的事実関係の詳細

一  認定事実

本件犯行に至る経緯及び犯行の状況等の概略は、既に認定したとおりであるが、本件に関する被告人の刑責の有無・限度を判断するにあたって必要な限度で、右の経緯・状況に関する客観的事実関係の詳細を、証拠により補足・認定しておくこととする。

1 被害者Cは、少年時代以来、被告人の舎弟分として活動していたが、一時、Y一家を破門されたのち、昭和六三年に復帰を許されて、同一家F総長預りの身分にあった者である。

2 右Cは、酒癖が悪く酒乱気味で、飲酒の上の不行跡により被告人の顔を潰すような言動に出ることがよくあり、特に、昭和六三年一二月は、酔余、一〇名近い少年の力を借りて、かつての兄貴分である被告人及びその輩下組員であるAやDらを袋叩きにして怪我をさせたことがあった。

3 しかし、被告人は、右の件でCを制裁しようとしていた矢先に、F総長から、Cに対する制裁を思い止まるよう申入れを受けてこれを実行することができなくなり、そのため、Cに対してはもとより、同人の不行跡に対し厳しい処分をしようとしないF総長の態度にも苛立ちを覚えた。また右暴行により入院を要する負傷をしたAも、Cに対する激しい怒りを覚えた。

4 Cは、かねて、商店の広告に電話番号を載せて広告料を取るという方法で、いわゆる電話帳作りの仕事をしており、Aは、被告人の指示に基づきCの右仕事を手伝っていた。ところで、Aは、平成元年一一月一四日夜、呼び出されてC方を訪れた際、誤印刷のある電話帳をそのまま配布してしまったことで激しく面罵され、強い憤激の念を覚えたが、我慢して引き下がり、帰宅した。しかし、Aは、右Cの態度に無念遣る方なく、帰宅後、D及びEに対し、電話帳のことでCに面罵されたことを訴えた。

5 これより先、Cは、同日夕方から、舎弟二名と共に外で飲酒したのち、午後一〇時過ぎころ、B組長の実兄N経営のビデオレンタル店「ルート××」に赴いたが、その際、Cが店内でビデオテープを床に落としたことから、Nとの間で口論となり、同人に対し「毎月五〇〇〇円で入れている甲田組の造花を買い取るから、以後毎月三万円を俺に払え。」などと要求して、同店内で大暴れした。

6 そこで、Nは、実弟であるB組長の助けを借りるため、同組長経営の麻雀店に電話して、Cが店で暴れているのですぐ来てくれるよう頼んだところ、同組長は、Y一家の本部事務所でF総長らと麻雀中の被告人に電話をかけ、「Cが兄貴の店で暴れた。」旨伝える一方、ポケットベルなどにより、輩下組員に参集を命じ、間もなく参集してきたS、K、M、U及びGらを引き連れてスナック「○△」へ行きNの訴えを聞いたけれども、当時、同組の組長代行が事件を起こして身柄拘束中であったこともあって、この際ことを起こすのは得策でないと考え、輩下組員を連れて、埼玉県上尾市内のスナック「友」で飲酒し、翌一五日午前一時ころには、スナック「しろ」へと移動した。

7 他方、本部事務所での麻雀中に、B組長から前記6記載の電話連絡を受けた被告人は、麻雀終了後である一五日午前零時三〇分ころ、焼鳥屋「△△ちゃん」へ行き、既に帰宅していたAを電話で呼び出した。そして、被告人は、B組長の所在を探し出して前記「しろ」にいる同組長と電話で話した結果、「NからCの話を聞いて欲しい。」旨頼まれ、A運転の車で「友」へ赴いた。

8 同店において、Nは、B組長を始めB組のS、K、M、U、G及びOらのほか、同組長の妾ら女性数名も居合せる席で、被告人及びAに対し、Cが「ルート××」で暴れていった状況を細かく説明した上、「そういうことのために甲田組と付き合っているのだから甲田組はしっかりやって欲しい。」「Aはどうするつもりなんだ。」などと、しつこく訴えた。

9 これに対し、被告人は、「二、三日中には、けじめをとって、きちんと結果報告します。」などと応答していたが、右話を聞いて怒り心頭に発したAは、再度店外に飛び出して、今にもC制裁に行こうとする気配を示し、その都度、B組のSに制止された。その際、Aは、来合わせたMが拳銃を持っているのを見て、一旦これを受け取ったが、間もなくB組長から取り上げられた。

10 かくするうち、B組長以下B組の者は、被告人とAを残して、全員前記スナック「○△」へ移動してしまい、Aもこれを追ってタクシーで同店へ行ったので、一人「しろ」に取り残された形になった被告人は、この上は、何らかの形でCを制裁するほかないと考え、同日午前二時三〇分少し前ころ、いずれも自宅にいた輩下のDとEに対し、「△△ちゃん」へ行っているよう電話で指示を与え、自らは、その後連絡の取れたAに車で迎えに来るよう命じて、同人運転の車で「△△ちゃん」に向かった。

11 Aの運転する自動車の後部座席には、B組のO及びMの両名も同乗していたが、助手席に乗った被告人は、Aに対し、判示のとおり、「Aよな。兄貴にああいう風に言われちゃあな。しょうがないよな。これからCをぶっちめて縛って西口の事務所に連れて来い。」と指示し、Aも「はい、分かりました。」とこれに応じた。

12 「△△ちゃん」に到着後、被告人は、前記10のとおり電話で参集を命じておいたD及びEに対し、「Aに言ってあるから、お前らも一緒に行ってやれ。」との指示を与えて「△△ちゃん」に入り、その後帰宅してしまった。

13 Aは、前記O、Mのほか、D及びEを同乗させて、再びスナック「○△」に赴き、同店にいたB組のS、K、U、G、更には自車に同乗していた前記四名とともに、総勢九名で三台の車に分乗してC方へ赴き(なお、その際、B組の者は、木刀及び金属製の特殊警棒のほか、拳銃一丁をも携行した。)、同人方前路上及び約0.7キロメートル離れたジャンボ駐車場内において、Cに対し、判示のような激しい暴行を加えた。

14 右暴行後、Aらは、死んだかと思ったCが、「死なねえよ。」などと声を発したことを契機として、同人の両手首を鎖で後ろ手に縛り、車のトランクに押し込んだ上、約四キロメートル離れた埼玉県南埼玉郡<住所略>南西約三八メートルの元荒川左岸土手上に運んだ。そして、Aらは、同所において、トランク内からCを引き出し、「くたばれ。」などと怒号しながら、その腹部等を足蹴にして土手下に転落させ、川内に蹴落とした上、更に、その身体を数分間水中に沈めて同人を溺水により窒息死させた。

二  補足説明

1 右各事実は、証拠上確実に認定し得ると認められるものであるが、前記11に関連し、Aは、捜査段階以来、被告人から、「B組の者と一緒にCをシメてくるよう指示された。」との趣旨の供述をしているのに対し、被告人は、あくまで、甲田組のD及びEとの同行を命じただけで、B組の者との共同行動は、全く念頭になかった旨供述し、両名の供述が対立している。

2 Aの捜査段階以来の供述によると、同人は、車で「しろ」へ被告人を迎えに行った際、(1)同店のらせん階段を下りるところで、被告人から「B組の者と一緒になって、シメてふんじばって、事務所にでも連れて行ってろ。」という意味のことを言われ、また、(2)車に乗ってからも、同様のことを言われたとされており、右のうち、特に(1)のような特異な事実関係を内容とするAの供述は、一見信用性が高そうに思われないではない。

3 しかし、Aの右(1)(2)の供述には、変遷がある。すなわち、同人の検察官に対する平成元年一二月五日付供述調書(以下、「12.5付検面」と略称し、他も右の例による。)によると、「『しろ』の階段を下りながら、組長から『Cを殺す必要はねえけど、シメて縄でふんじばって事務所にでも連れて行ってろ。』と言われ、また、車の中でも、『いいか、A、皆んなで行ってシメてこいよ。』と言われたが、この『皆んな』というのは、『Aだけでやるなよ。B組の者と一緒にやれ。』という意味です。」とされていたに止まるのに、12.21付検面では、階段を下りながら言われたという被告人の言葉が「DとEを呼んでいるからB組の人間と一緒になってCの野郎をシメて来い。Cをシメて縄で踏ん縛って事務所にでも連れて行ってろ。」というものとなり、この段階で、既に被告人の口から「B組の者と一緒になって」という言葉が出たとされている上(なお、その際、被告人が「殺す必要はねえけど。」と言ったと前に述べたのは、被告人をかばうための嘘であったとされている。)、車内においては、被告人から「いいなA、皆んなで行ってシメて来いよ。」と言われたのに対し、自分から「B組の者と一緒でですか。」と反問し、これに対し、被告人が「そうだ。」とはっきり言ったという、12.5付検面にはない新たな供述が加わっている。ところが、同人の公判証言では、「しろ」の階段を下りる際の被告人の言葉は、「D、Eを呼んでいるんで、みんなで行ってCの野郎を締めて来い。」「縄か何かでふんじばって事務所かどこか持ってけ。」というものであったので、自分が、「みんなとはどういう意味ですか。」と聞いたら、「B組の連中とみんな一緒に」と言われたということとされ、車内においては、ぼそぼそと、後ろの人間が聞こえるか聞こえないくらいの声で、「みんなで行って締めて、縄か何かでしばり事務所かどこかに持ってけ。」と言われたにすぎないこととされた。すなわち、公判証言では、12.21付検面では車内において交わされたとされている「みんなと」の意味に関するAと被告人の反問・応答が、車内ではなく「しろ」の階段を下りる際のことにすり替えられ、その内容は、「B組の者と一緒に」という言葉がAからではなく被告人の口から発せられたものとされて、その意味が強調されているのである。

4 他方、「△△ちゃん」に行く車の後部座席に同乗していたOは、被告人のAに対する「皆で行ってシメて来い。そうしなきゃしょうがねえ。」という命令を聞いているが、Aの12.21付検面にあるようなAの反問と被告人の応答があったとは供述しておらず(12.20付検面)、Mに至っては、車内での両名の会話について一切供述していない。このような証拠関係に照らすと、前記のようなA証言の検面調書との矛盾は、自己の公判審理の経過等を通じ、O、Mらの各検面調書の内容を知ったAが、同人らの各供述との矛盾・抵触を解消しつつ、B組との共同行動に関する被告人の指示を強調するため、被告人との反問・応答が、後部座席にO・Mの両名がいる車内においてではなく、階段に二人きりでいる際に、しかも、前記のような文言で行われたことにしようと図った結果ではないかとの推測を容れる余地があるというべきである。

5 このように、A供述に現れた被告人との会話のうち、「B組の者と一緒になって」の部分とか、「みんなと」の意味に関する反問・応答の部分は、(その特異な情景描写と供述の具体性からみて、一見高度の信用性がありそうに思われないでもないが、)その内容が大きく変遷し、また、第三者の供述とも抵触しており、にわかに措信し難いものというべきである。ちなみに、Aは、当日、B組の者と一緒になって、現にC殺害という重大事犯を敢行してしまった者であり、B組と共同して実行した点も、組長である被告人の指示によるものであるとした方が、立場上有利(刑事責任の面ではもとより、暴力団という組織の中の立場からしても)であることは明らかであるから、同人には、B組の者との共同実行を被告人に指示された旨虚偽の供述をする動機があるというべきである(なお、A供述には、他にも疑問とされる点がある。例えば、同人の12.5付検面では、被告人から、「しろ」の階段を下りながらCを事務所へ連行するよう命じられた際、「Cを殺す必要はねえけど。」ということも言われたとされていたが、12.21付検面では、右は、甲田組長をかばうために言ったもので事実に反するとされるに至っていた。しかるに、Aは、公判廷において、当初、取調べの初期の段階では被告人をかばっていたが、一二月に入って被告人の名前を出してからは、被告人をかばう気持ちはなくなった旨、右捜査段階の供述の変遷と矛盾する証言をし、その矛盾をつかれると、「一二月に入って」というのは、一二月二一日の取調べのことを指す旨更に証言を変更した。右のようなA供述の変転は、同人の捜査段階の供述はもとより、公判段階の証言も、必ずしも全面的には信用し難いものであることを示唆しているというべきであろう。)。

6 そして、被告人がA及びD・Eの両名に発した指示・命令が、前記一、11、12認定の限度に止まるとすると、右指示を発した時点で、被告人は、Aら三名に対し、Cに対するある程度の有形力の行使を容認しつつも、最終的には甲田組事務所への連行を命じ、同所における制裁を意図していたものであって、右の実行にあたり、B組の者の力を借りるとか、これをB組の者と共同して実行させることまでは考えていなかったと認めるほかはない。

7 もっとも、右の点については、(1)被告人のAに対する指示が、B組の組員二名(O、M)の同乗する車内で発せられていること、(2)右指示を受けたAは、その直後に、当然のことにようにB組員のいる「○△」に行き、同組員六名と同道してC襲撃に出発していること、(3)被告人が、一人で「しろ」に取り残されていた際、「○△」にいたB組長から、電話で、Cの住所をたずねられていることなどの点からみて、被告人とB組長との間で、共同実行に関する合意が既に成立していたのではないかと疑う向きがあるかもしれない。

8 しかし、他方、「しろ」でNからCの行状に関する訴えを受けた際、被告人が、前記一、9記載のとおり、二、三日の猶予を求めて、甲田組の方でけじめをつける旨申し出ていたとの点は、被告人が捜査段階以来一貫して供述していることであるのみならず、右供述は、その場に同席したNやKらの供述(Nの12.12付検面三三丁、Kの12.19付検面三二丁)によっても裏付けられているので、事実であると認めざるを得ない。従って、少なくとも、右時点において、被告人は、C問題を甲田組内部の問題として、あるいは、被告人が捜査段階以来供述しているように、F総長の決断を求めて、何らかのけじめをつける意思であったと認められる。

9 そして、被告人が、Aに対し指示を発した時点でも、その意思に基本的変更のなかったことは、被告人が、同人に対し、Cの「事務所への連行」を命じていることからも推察されるところ、もし、そうであるとすれば、Cの「事務所への連行」には、A以下甲田組の者三名の力があれば十分ではないかと考えられ(Aも、当初そう思った旨証言している。第一〇回公判調書速記録一九丁)、あえて、B組の力を借りる必要はなかったというべきであろう。そもそも、暴力団内部の紛争の解決に、他の組の力を借りるというようなことは、余程の重大事件でなければ考えられないところ(この点は、被告人が、当公判廷において力説するところである。)、本件におけるCの行状は、少なくとも、従前からしばしばCの不行跡により面子を潰され、ある程度これに慣らされていた被告人にとっては、(苦苦しいことであるにはちがいないにせよ、)他の組の力を借りなければ解決できないような重大問題ではなかったと考える方が、常識に合致する。

10 また、被告人が、Aに指示を発した時点において、もしB組との共同実行につき同組長との合意が成立していたのであれば、被告人がAに対し、ことさら、「みんなで」などというあいまいな言葉でこれをほのめかす必要もなかった筈であり(被告人が、Aに対し、「B組の者と一緒になって」という明示の命令を発したと認め得ないことは、前述のとおりである。)、むしろ、後部座席に同乗中のOらに対しても、積極的にこれを打ち明けて然るべきであったとも考えられる。被告人とB組長の合意の成立という議論は、前記7(1)ないし(3)記載の事実に目を奪われる余り、合意の成立と矛盾・抵触すると思われる右のような事実関係を不当に軽視するもので、到底採用することができない。

第四  Aら実行行為者の殺意発生の時期

一  殺意に関するAらの供述の概要

1 Aは、捜査段階においては、「B組の者とともにC方へ向かう時点では、既に、Cを殺す意思であった。」旨一貫して明確に供述している。これに対し、他の実行行為者の中に、第一現場へ向かう時点から明確な殺害目的があった旨供述している者はなく、その検面調書中の殺意に関する記載は、せいぜい、「場合によったら命を奪うことになるかもしれない」という程度のやや漠然としたものにすぎず、その多くは、第二現場における暴行終了後又は終了直前の時点において、激しい暴行を受けながらしぶとく復讐を誓うCの態度に怖れをなし(例えば、<証拠>)、又はAの「最後までやらなくちゃ駄目だから、沼にでも持って行って沈めてしまおう。」との提案を契機に(例えば、<証拠>)、殺害の決意を固めたとされているに止まる。

2 他方、訴因変更後、検察官は、第一、第二現場におけるAらの行為も、殺害目的に基づくものであったことを立証すべく、新たにAとDを証人として尋問した。右のうち、A証言の要旨は、「被告人の指示を受けてC方へ行く際は、同人を半殺しにするか、あるいは殺しても仕方がないというような認識を、その時点で持ったが、ぐらついていた。暴行を加えている時点では、はっきりした目的意識は頭に浮かんでおらず、はっきり殺してやろうと考えたのは、ジャンボ駐車場で、Cの頭部を強く殴打し、ぐったりしたCをチェーンで後ろ手にしばった前後、冷静になった時点のことである。」「検察官に対し、当初からの殺意を認めたのは、初め、上の方(被告人)をかばうために率先して初めから殺意を持っていたと言えば、事件が解決すると思ったからである。一二月に入って被告人の名前を出してからは、被告人をかばうという意識はなくなったが、前に、初めから殺すようなことを言っているので、そこはもう訂正するとかしないとかいう話ではないと思っていた。」(第八回公判調書速記録六丁ないし七丁、三一丁ないし三二丁)というものであり、Dは、遂に殺意を認める供述をしなかった。

二  右各供述の検討

1 本件は、総勢九名の暴力団員がたった一人の被害者を襲い、第一、第二現場で散散に殴打・足蹴の暴行を加えて重傷を負わせた上、第三現場に拉致して遂に溺水により死亡させたという事案であるが、第三現場における犯行が殺意に基づくものであることについては、その手口・態様自体から強い推認が働くのに対し、第一、第二現場の犯行は、必ずしもそのような強い推認を生じさせるものではない。

2 もっとも、第一、第二現場における犯行(特に、第二現場におけるもの)も、頭部を含む人体の枢要部に対する極めて激しいものであり、右暴行に木刀や特殊警棒が使用されていること、Aらが、被害者Cに対し激しい怒りを抱いていたことなどからすると、Aらが未必の殺意程度は抱いていたのではないかという疑いも生じないではないが、右襲撃においては、人命を奪うのに最も手取り早い方法である拳銃が襲撃者側に用意されていたのに、遂にこれを使用するに至っていないこと、また、拳銃に次いで有力な殺傷手段である刃物類は、その用意すらなかったこと、Cの行状は、暴力団内部における秩序に反し組長らの面子を潰すものとして強く非難されるものではあるが、右は、あくまで同じ系統に属する暴力団内におけるいわば身内の紛争にすぎないのであって、そのことの故に、何が何でも同人の一命を奪わなければならない程の重大性があるとは考えられず、激しい暴力を加えて復讐しその反省を求めれば、当面の目的を達すると思われること、また、第一、第二現場での暴行によっては、Cに判示重傷を負わせたに止まり、結局、死の結果を生じさせておらず、木刀等で頭部を強打した場合に生じておかしくない頭蓋骨骨折すら生じさせていないことなどの諸点に照らすと、右各現場の犯行については、その手口・態様からみる限り、襲撃側に、未必的にもせよ殺意があったとまでは、にわかに断じ難いといわなければならない(その意味で、Aを除くその余の実行行為者の供述中に、第一、第二現場における殺意を明確に認めたものが見当らないのは、首肯し得ることというべきである。)。

3 問題は、Aの検面調書の記載の信用性である。同人は、「ルート××」におけるCの行状以外にも、前夜の電話帳の件に関する叱責とか、昭和六三年一二月の殴打事件(前記第三、一、2、4参照)など、Cに対する個人的な恨みもあるため、「しろ」でNから「ルート××」におけるCの行状を告げられて一段と激しい怒りを覚えたものであり、現に、再再店を飛び出して、単身C襲撃に赴こうとする気配を示してSに止められたりしているのであって、このような点からすると、同人が、当初からC殺害の意図を有していたとする検面調書の記載は、高度の信用性を有するかに考えられないことはない。

4 しかし、捜査段階において、当初からの殺意を認めた理由に関する同人の公判廷での説明(前記一、3)は、同人が、事件後、組織防衛の使命を帯びて、Dと二人で自首して出、いわば二人で事件を背負って、組長らに捜査の手が伸びるのを食い止めようとしていたという客観的事実に裏付けられて、それなりの説得力がある。また、同人のCに対する怒りは、他の者より強かったと認められ、Nから話を聞かされた時点で、一時的には同人を殺してしまいたいと考えたこともあったのではないかとも思われるが、他の者に制止されて一旦冷静になったのちにおいて、同人が、何が何でも殺害を遂行しようとする強い意思を維持し続けたとは考え難く、その意味で、被告人の指示を受けてC方へ向かう時点において、「半殺しにするか、殺してしまうか、半分位の気持ち」で、「暴行の時点では、はっきりした目的意識は浮かんでいなかった。」という同人の公判証言は、首肯し得ないものではない。

5 検察官において、当初、Aら実行行為者がC殺害の決意を固めたのは、第二現場における暴行終了後の時点であるとし、それ以前の時点においては、殺意を抱いていなかったとする趣旨の冒頭陳述をしていたことは、前記第一、2記載のとおりである。右冒頭陳述は、前記のとおり、公訴事実の記載と矛盾する点で問題をはらんではいたが、関係者の供述の趣旨には概ね合致し、それなりに合理性のあるものであった。検察官は、その後、殺意の発生時期が第二現場での暴行終了後であるとすると、第一、第二現場での犯行と第三現場での犯行が併合罪の関係に立ち、そのことが、第三現場の犯行に関する被告人の刑責の有無の判断に影響すると考えたためか、犯行の当初の段階からAらが殺意を有していた旨主張を変更したが、証拠関係に何らの変動がないのに、訴訟の結論を見越して、このような重大な主張の変更を行う検察官の態度は、余りにも便宜的であって一貫性がなく、容易に首肯し難い。

6 以上の検討の結果により明らかなとおり、Aら実行行為者がC殺害の決意を固めたのは、第二現場における暴行終了後と認めるのが相当であり、それ以前の行為は、Cに対する単純な制裁ないし復讐目的に基づくもので、若干の疑問は残るにしても、未必的な殺意に基づくものとも認め得ないというべきである。

第五  罪数判断

1  以上の事実認定を前提として、以下、Aらの第一ないし第三各現場における犯罪の罪数関係について検討する。

2 前記第三、第四で認定したところを要約すると、Aらは、「ルート××」におけるCの傍若無人な言動を知らされて憤激し、甲田組組長である被告人の指示もあって、Cに制裁ないし復讐しようとする意思のもとに、大挙してC方に押しかけ、同人を同人方前路上(第一現場)に呼び出して激しい暴行を加えたが、大きな物音がしたため、発覚を恐れて、急きょ、付近のジャンボ駐車場(第二現場)に場所を変え、同所においても引き続き激しい暴行を加えたところ、死んだかと思ったCが「死なねえよ。」などと声を発したことから、そのたくましい生命力に怖れをなし、同人の報復から身を守るためには、いっそのこと同人を殺害してしまうほかないと決意するに至り、その旨意思あい通じた上、同人の両手首を鎖で後ろ手に縛り、車のトランクに押し込んで、約四キロメートル離れた元荒川土手上(第三現場)に運び、土手下に蹴り落とした末、同人を川水に沈めて溺水のため窒息させて殺害したというものである。

3 これによると、第一現場の行為と第二現場での行為は、単に、物音がしたため犯行の発覚を恐れて場所を変えたというにすぎず、犯意継続の上引き続いて行われた一連の同種暴行行為であって、これを包括して一個の暴行と解することに何らの妨げはないと認められる。しかし、第二現場での暴行終了後の行為は、その後発生した同人の殺害という新たな目的に向けて行われたものである上、その動機・目的は、同人の「報復を怖れて」というもので、それまでの「制裁ないし復讐のため」とは明らかに異質である。また、現実の殺害行為は、第二現場から場所的にも約四キロメートル離れた場所で、しかも、それまでの暴行とは全く異質な手段・方法により行われたものであって、これらの点からすると、右は、第一、第二現場での犯行(傷害罪)から発展して行われた、同一被害者に対する有形力行使を内容とするものではあっても、主観・客観の両面からみて、これとは異質な別個独立の犯罪(殺人罪)として、併合罪を構成すると解すべく、両者を包括一罪の関係に立つと解することはできない(なお、右は、第一、第二現場の暴行の際、Aらが未必の殺意すら有していなかったという事実認定を前提とした結論であるが、かりに、第二現場における暴行の終了間際の暴行の際、Aに未必の殺意が生じていたと仮定しても、その結論は変らないと考えられる。すなわち、この場合、第一、第二現場における犯行は、Aについては、包括して未必の殺意による殺人未遂罪を、その余の実行行為者については傷害罪を各構成し、傷害罪の限度で共同正犯が成立すると解されるが、その後、確定的殺意に基づいて実行された第三現場での犯行は、それとは別個の殺人罪を構成すると解すべきである。これと異なり、第二現場においてAが未必の殺意を抱いたと仮定した場合に、この点を重視し、同人について、第一ないし第三現場での犯行を包括して一個の殺人罪と評価することは、他の共犯者との間で罪数判断の分裂を来たすという一事からみても、不合理であることが明らかである。)。

4  検察官は、第一ないし第三各現場における犯行は、全体として一罪(包括一罪の趣旨と解される。)であると主張しているが、これは、Aらが、当初からC殺害を目的として行動していたことを前提とするものであって、当裁判所と同一の事実認定に立つ場合にも、包括一罪の主張をするものではないと考えられる(検察官は、当初の冒頭陳述において、当裁判所の認定した事実とほぼ同旨の事実を主張しつつ、第一ないし第三各現場の犯行を一罪であるとしていたが、その後、証拠関係に何ら変動がないのに、訴因及び冒頭陳述を変更して、Aらの第一現場からの殺意をも主張するようになったものである。右主張の変更は、当初の冒頭陳述で主張した事実関係のままでは、犯行全体を一罪と認めることが無理であることを、検察官自身が認めた結果であると考えるほかはない。)。

5  もっとも、当裁判所は、一連の暴行の中途において行為者に殺意を生じ、結局相手を殺害してしまった場合について、必ず、殺意発生の前後により二罪が成立すると考えるものではない。例えば、右設例において、暴行の継続中、行為者が咄嗟に殺意(特に未必の殺意)を生じて被害者を殺害した場合に、これを、殺意発生の前後で二罪に分断するのは、常識に反するであろう。しかし、本件の第三現場における犯行は、第二現場までの犯行とは別個の動機に基づくものである上、殺意ないし殺害目的の存否、時間的・場所的懸隔、手段・方法の異質性等重要な点で第二現場までの犯行とは質を異にするものというべきであり、右に指摘したような設例の場合とは、明らかに事案を異にしているのである。

第六  第一、第二現場におけるAらの行為に関する被告人の刑責の有無(共謀の成否―その一)

1  暴力団の組長である被告人が、判示の経緯により、自己の輩下であるAに対し、「Cをぶっちめて縛って西口の事務所へ連れて来い。」と指示し、Aが「はい、分かりました。」とこれに応じたこと、その後、被告人は、D及びEに対しても、Aと行動を共にするよう命じ、結局、Aらは、B組長以下B組の組員七名と意思相通じた上、総勢九名で判示第一、第二各現場の暴行に出ていることは、証拠上極めて明らかなところである。従って、被告人は、Aら三名及びB組の者七名と、Cに対し有形力を行使して制裁を加える旨直接に又はAを介して間接に共謀を遂げたと認めざるを得ない。

2  ただ、右の結論に到達するについては、若干の問題点がないわけではない。まず、問題の第一は、Cに対する有形力行使の時期・態様・程度につき、被告人の意思と現実の事態の推移との間にくいちがい(錯誤)が存することである。すなわち、前記のとおり、被告人は、Aらに対し、Cへのある程度の有形力の行使(殴打・足蹴り等)を容認しつつも、最終的には同人を甲田組事務所へ連行することを命じ、その上で同人に制裁を加えて反省を求めようとの意図のもとにその指示を発したものと認められるが、現実のAらの行為は、第一、第二現場のものだけをみても、被告人の右意図をはるかに超える激烈なものであった。そして、(1)Aらが、Cを甲田組事務所へ連行するような行動に出ることなく、当初から右のような激しい行動に出ていることに加え、(2)Aが、被告人から指示を受ける以前において、前夜来のCの言動に著しく憤激しており、被告人の指示を待つまでもなくCに制裁を加えてやりたいという気持ちを有していたこと、(3)B組の実行行為者六名は、最終的にはB組長の指示に基づき行動に移ったものと認められ、同人らには、Cを甲田組事務所へ連行せよとする被告人の指示は、遂に伝達されていないこと、(4)右実行行為者らは、C方へ赴くにあたり、金属製特殊警棒や木刀などのほか、現実には使用されなかったにせよ拳銃まで携行していることなどの証拠上明らかな事実を総合すると、Aら実行行為者は、「Cをいためつけた上甲田組事務所へ連行して制裁する」という被告人の意図を越え、当初から、甲田組事務所への連行とは無関係に、激しい有形力を加えるだけの意図のもとに現場に赴き、現実にもそのような行動に出たと認めるのが相当である。そうであるとすると、本件においては、被告人とAらが、一旦被告人の意図する線での制裁について合意したのち、現場に臨んで予定した以上の行動に出たというのではなく、そもそも、被告人とA及びその余の実行行為者の間では、当初からCに対する有形力行使の時期・態様・程度に関し、完全には意思が合致しなかったことになる。しかしながら、右両者間では、少なくとも、Cに対し不法な有形力を行使して制裁を加えるという限度では意思が合致していたことは明らかであり、右の限度において意思の合致が認められる以上、右有形力行使の時期・態様・程度につき前記のようなくいちがいの存することは、第一、第二現場において現実に行われた有形力行使(暴行)及びその結果としての傷害につき、被告人の刑責を問う上での妨げにはならないというべきである(右の点は、いわゆる具体的事実の錯誤として、情状面で考慮すれば足りる。)。

3  次に、問題の第二は、右にも指摘したとおり、A及びB組の者らは、被告人以上にCの行動に憤激しており、被告人の指示のある以前から、Cに対し制裁したいと考えていたとみられ、また、現実の行動も被告人の意思とはかなりかけ離れた形態のものとなったことからすると、右実行行為者らの行動は、被告人の意思とは無関係に行われた独自の行動とみる余地がないかという点である。確かにAは、被告人の指示の出る前からCの言動に切歯扼腕していたものであり、再再「しろ」店外に飛び出して、B組のSに対し、二人でCに制裁を加える話を持ちかけては同人に制止されている事実も認められる。しかしながら、Aが最終的に行動に踏み切る決意を固めたのは、やはり組長である被告人の指示があったからであると認められ、また、B組長も、甲田組幹部であるAの決意を知るに及んで、断固行動に立ち上るべく決意を固め、その旨輩下組員に指示したと認めるのが相当であるから、実行行為者らの現実の行動が、被告人の指示と無関係に行われたとみることはできない。

4  最後に、Aらは、当初から殺意をもって行動していたのではないかという問題がある。弁護人の同意のもとに取り調べられたAの供述調書中には、同人が、第一現場に赴く以前の段階で、既にCに対する殺意を抱いていた旨の記載があるので、右のような本件の証拠関係のもとにおいては、実行行為者の中には当初から殺意に基づいて行動していた者がいた疑いが全くないわけではないが、当裁判所は、Aら実行行為者の間において、C殺害の共謀が成立したのは、前記のとおり、第二現場での暴行終了後であると認めるのを相当としたものである。

第七  第三現場におけるAらの行為に関する被告人の刑責の有無(共謀の成否―その二)

1  前記のとおり、関係証拠によると、Aらは、被告人の「Cをぶっちめて縛って西口の事務所へ連れて行け。」との指示に基づいてC方へ赴き、第一、第二現場で同人に激しい暴行を加えたあと、右暴行により死んだと思ったCが、「死なねえよ。」などと言ったことから、そのたくましい生命力に驚愕するとともに、同人による後日の報復を恐れる余り、かくなる上は、同人を完全に殺害して禍根を断つほかないとの考えのもとに、同人を後ろ手にしてその手首を鎖で結わえて車両トランクに押し入れ、公訴事実記載の元荒川左岸土手上(第三現場)に運び、同所から土手下に放り投げるなどした上、同川内に蹴落とし、更に同人を水中に押し沈め、そのころ、同所において、同人を溺水により窒息死させて殺害した事実が明らかである。

2  ところで、第三者(乙)にある犯罪を指示して実行させた者(甲)に対する刑責は、原則として、(1)右乙が甲の指示に基づいて実行した犯罪と一罪の関係に立つものに限られると解すべく、(2)これと一罪関係に立たない別個の犯罪につき甲の刑責を問い得るためには、当初の指示・命令の中に、既に実行された犯罪以外に、右別個の犯罪の実行をも指示・容認する趣旨が含まれており、従ってまた、右犯罪が、甲乙両名の合致した意思(共謀)に基づいて実行されたと認め得る特別な事情の存することが必要であると解すべきである。このことは、共同正犯の成立には、共犯者間に、一定の構成要件に該当する行為を行うことの意思の合致が不可欠であるとされていることからする当然の帰結であって、これと異なり、例えば、乙にある犯罪を指示した甲は、右乙の実行した犯罪のうち、甲の指示と因果関係を肯定し得る全てのものに対する刑責を免れないというような議論(検察官の議論は、これに近い。)は、共同正犯の成立に不可欠とされる共犯者間の意思の合致の要件を無視するもので理論上是認し得ないのみならず、その実際の適用においても、共同正犯の成立範囲を拡大しすぎて不当な結果を招来する。

3  そして、当裁判所は、前記第五記載のとおり、Aらが第三現場でCを殺害した行為は、それ以前に実行された傷害罪とは別個独立の殺人罪(併合罪)を構成し、両者を一罪と評価することはできないと考えるものである。従って、本件は、右(1)の場合にはあたらないことが明らかである(なお、検察官が論告要旨<補充>中で援用する最一判昭和五四・四・一三刑集三三巻三号一七九頁は、共犯者の殺意発生前後の行為が一罪を構成すると認めてよい場合であると考えられるから、右判例は、本件の適切な先例たり得ないというべきである。)。

4  また、既にくり返し指摘したとおり、被告人のAに対する指示は、Cに対するある程度の有形力の行使を容認しつつも、最終的には、同人を甲田組事務所へ連行させて、同所における制裁を目的とする趣旨のものであったのに対し、第三現場での犯行は、Aらが、第一、第二現場において、被告人の右命令を越えて激しい暴行を行いCに重傷を負わせてしまったことから、いっそのこと同人を殺害して将来の禍根を断とうとして、同人殺害をしたものである。従って、被告人のAらに対する前記指示・命令が、第一、第二現場における暴行に加えて、第三現場におけるAらの行為をも容認する趣旨のものでなかったこと、そしてまた、Aらの行為が、当初の共謀に基づくものと認め得ないことは、明らかなところである。そうであるとすると、本件が、前記(2)の場合にあたらないことは、当然のことである。

5  これに対し、検察官は、(1)共犯の錯誤の場合、結果的加重犯については、共犯者において基本的行為について認識がある限り、重い結果についても責任を負うとされているとか、(2)被告人がAらに与えた指示とCの死の結果との間には、条件的な因果関係はもとより相当因果関係も存在するなどとして、Aらの第三現場における行為及びCの死の結果について、被告人は刑責を免れないと主張する。しかし、まず、右(1)の点についていうと、確かに、一般に、暴行の故意を有するに過ぎない甲と、傷害ないし殺人の意思を有する乙とが、丙に対し不法な有形力を行使する旨共謀の上、こもごも暴行を加え、丙を死に致したような場合、甲も結果的加重犯としての傷害致死の刑責を免れないと解されているが、右は、死の原因となった不法な有形力の行使の点につき互いに意思相通じていることから生ずる当然の帰結に過ぎないのであって、本件のように、Cの死の直接の原因となった第三現場でのAらの行動(つまり、第三現場における暴行)につき、被告人が謀議を遂げたと認め得ない事案においては、検察官指摘の点は、Cの死の結果に対し被告人の刑責を問う論拠とは、到底なり得ない。次に、前記(2)の点について考えると、既に指摘したとおり、共同正犯が成立するためには、少なくとも、一定の構成要件に該当する行為を行うことに関する意思の合致と右合致した意思に基づく行動が必要であることは多言を要しないところ、本件においては、第一、第二現場における行動については右要件が充足されていると認められるが、これとは別個の犯罪である第三現場での行動(つまり、第三現場における暴行)については、被告人とAらの意思の合致がみられないことは、前述したとおりである。検察官の前記主張(2)は、共同正犯の成立に意思の合致までは必要とせず、単なる因果関係の存在でたりるとする独自の見解を前提としなければこれを理解することができないものであって、到底採るを得ない。

6  なお、検察官は、論告要旨(補充)中において、Aの証言及びO・Dの各検面調書を援用して、第三現場における同人らのCに対する有形力の行使が、被告人の指示に基づくものであったことを論証しようとしているかにみえる。しかし、右の議論は、結局、Aらが第三現場での犯行を決意するにあたり、被告人から受けた指示が動機の一つとして働いたという意味で、被告人の指示と第三現場での犯行との間に因果関係が存在することを強調するに止まり、前記5(2)のように、第三現場での行為に関する被告人とAらの意思の合致を主張するものではないと認められるので、これ以上の反論は必要ないかとも考えられるが、念のため若干の反論を示しておくと、まず、Dの検面調書は、同人の公判廷における証言と大きく趣きを異にしている。そして、同人は、供述調書の記載は、取調官の強い誘導に基づくもので事実に反する旨強調しているところ、右取調べが取調官の誘導に基づき作成されたものであることは、検察官援用にかかる供述部分の内容等からもある程度推測可能であるから、同人の検面調書の記載を額面通り受け取ることは危険である。Oについては、当公判廷における尋問の機会がなかったが、その取調べの状況については、やはり、Dの場合と同様の推測が可能である。

7  最後に、Aの証言について検討するのに、同人は、自己の公判廷において、第一、第二現場における殺意を除き、基本的に公訴事実を認めているもので、その証言態度等からみて、その証言の信用性は、かなり高いと考えてよいであろう。しかし、同人が中心となって敢行した本件C殺害事件は、客観的には、組長である被告人の意思に反したものであったわけであり、このように、自らの主導のもとに客観的に組長の意思に反する大罪を犯してしまったAとしては、これを、組長の指示に基づくもの、又は少なくとも組長の指示に基づくと誤解して行ったものである旨主張することは、自己の立場上有利(刑事責任の面ではもとより、暴力団という組織の中の立場からしても)であると認められる。従って、同人が、意識的に又は無意識的に、自己の行動に対する被告人の指示の影響を過大に強調するということは、十分考えられることであり、現に、同人の供述に、一部(すなわち、「B組の者と一緒になってやれ。」との部分など)信用し難い点のあることは、前記第三、二において指摘したとおりである。そして、このことを念頭に置いて、同人が、第二現場での犯行終了後C殺害を決意するに至った理由として挙げる点(すなわち、①このままでは、Cから復讐されて皆殺されて仕舞うのではないかと思ったこと、②被告人の「しめろ」という意味が、殺せという意味かなと思うようになったこと、③A自身、前にCらから暴行を受けたことがありその仕返しを考えたこと)を検討してみると、右①③の点は、その後行ったC殺害の動機として合理性を有し、かつまた、その時点で同人がそのような考えを持つに至ったとしても不自然ではないと認められるが、②の点は、それまで、被告人の指示を「Cを殺せ。」という意味であるとは必ずしもとっていなかったAにおいて、何故にこの時点に至ってそのように考えるに至ったのかについて疑問を容れる余地があり、いささか不自然である。そうすると、右は、同人が、既に指摘した諸点と同様、自己の行動に対する被告人の指示の影響を強調したいがためにした、事実に反するものではないかとの疑いを免れないのであり、第三現場での犯行の動機に関するA証言中②の点は、にわかに採用し難いというべきである。このようにみてくると、第三現場におけるAらのC殺害行為は、既に指摘したとおり、当初の被告人の指示とは直接関係のない別個の動機により敢行されたと認めるのが相当であり、右指示と殺害行為の間には、単に条件的な因果関係を肯定し得るに止まるというべきである。

8  以上のとおりであって、本件公訴事実中、第三現場におけるAらのC殺害行為について、被告人に対し共謀共同正犯の刑責を問うことはできないというべきである。

(法令の適用)

被告人の判示所為は、包括して刑法六〇条、二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するところ、所定刑中懲役刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役二年に処し、刑法二一条に則り、未決勾留日数中三〇〇日を右刑に算入し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文に則り、その一部を被告人に負担させることとする。

(量刑の理由)

一  本件は、暴力団組長である被告人が、かつての舎弟で酒癖の悪いCの言動により、しばしば顔を潰されることを苦苦しく思っていたところ、たまたま、同じ系統の暴力団組長(B組長)から甲田組の縄張り内にある同人の実兄経営のビデオレンタル店内でCが暴れた旨を聞かされ、更に、B組の組員ら多数の面前で、右実兄から、「そういう時のために甲田組と付き合っているのだから甲田組はしっかりやって欲しい。」などと言われたため、自己の縄張り内でCに面目を潰されたと思って立腹し、同人をいためつけて事務所へ連行させた上更に制裁を加える意図のもとに、自己の輩下(幹部組員)であるAに対し、「Cをぶっちめて縛って事務所へ連れて来い。」などと指示したところ、前夜来、Cから電話帳のことなどで口汚く面罵され、また、B組長の実兄から右のようなCの行状を聞かされていたく憤激していたAは、「はい、分かりました。」とこれに応じたものの、右被告人の指示を越えて、Cに対し多数人で襲いかかり事務所へ連行するまでもなく袋叩きにして制裁を加えようと考え、同様の心境に達していたB組長及び同組員六名、更に、被告人から別途同行を指示されていた甲田組組員二名と共謀の上、深夜Cを自宅から呼び出して、同人方前路上及び判示「ジャンボ」駐車場内において、こもごも、同人の頭部・背部・腹部等を、多数回にわたり金属製特殊警棒及び木刀で殴打したり、足蹴りしたりし、同人に対し、加療期間不明の頭部挫裂創・裂創・左耳翼挫裂創、左第三ないし第五肋骨骨折などの重傷を負わせたという事案であって、犯行の手口・態様は甚だ執よう、残酷、かつ、卑劣である上、被害者がその直後に殺害されているため厳密な加療期間は不明であるが、身体に残された痕跡等からすると、右傷害の結果は、いずれにしても重篤なものであったと認められる。従って、自己の輩下組員らの手によるこのような犯行を誘発した被告人の刑責は、もとより軽かろう筈がない。

二  もっとも、既に説示したところから明らかなとおり、AらがCに現実に加えた制裁は、本来被告人が考えていたものとは時期・態様・程度を異にし、被告人の予想を越える激しいものとなったのであるから、判示第一、第二現場で現実に行われた行為とその結果につき被告人が法律上共謀共同正犯の責を免れないとはいえ、右の点は、量刑上では、相当程度考慮に値しよう。ただ、しかし、組の面目を潰す言動に出たかつての舎弟を、事務所へ連行して制裁するという被告人の本来の意図も、暴力団社会に特有の論理に基づくものであって、そのようなことを輩下に指示したこと自体、法治国家においては到底許されないことである。のみならず、当時、Cの言動にいたく憤激していたAらに対し右のような指示をすれば、はやり立つ同人らが、自己の指示を越えた激しい暴行の挙に出る事態も予見できないわけではなかったと思われるから、指示を与える側の被告人としては、事態が予期せぬ方向に発展しないようAらに対し厳重な注意を与える必要があったことも多言を要しないことであって、ことここに出でず、Aらに対し判示のような簡単な指示を与えたに止まった被告人には、事態が予期せぬ方向に発展した点について、ある程度の責任がないとはいえない。

三  以上の諸点のほか、被告人は、輩下数名を擁する暴力団の組長であって、前科一一犯(うち、懲役刑の前科五犯)を有し、稼働意欲に乏しく、法規範遵守の気構えに欠けること著しい人物とみられることなど証拠上明らかな諸般の情状を総合考慮した結果、被告人に対しては、主文の懲役刑の実刑を科するのが相当であるとの結論に達した(なお、未決勾留日数の通算については、本件公判がかくも長期化した理由は、一にかかって、前記第一記載のような検察官の訴訟追行上の不手際に存するのであり、具体的にいえば、平成二年八月二日の弁論再開以降の手続の遷延については、被告人にその責めを負わせることができないという点を考慮し、現実の公判開廷回数の多少にかかわらず、これを大幅に本刑に算入することとした。)。

(一部無罪の理由)

変更後の訴因にかかる前記第一、10記載の公訴事実中、被告人が、Aらと共謀の上、Cを第二現場から第三現場へ連行し、同所において同人を殺害した(ただし、被告人は、同人殺害の意思を有しなかった)との点について、被告人の共謀加担の事実を認めるに足りる証拠がないことは、既に詳述したとおりであるから、刑事訴訟法三三六条により、右の点について、被告人に対し無罪の言渡しをすることとする(なお、この場合、右事実は、検察官が、一罪として起訴した事実の一部であるということから、右事実については、主文において無罪の言渡しをすべきでなく、理由中でその旨を示せば足りるという見解も考えられる。しかし、法令の適用は、本来、裁判所の専権に属することであり、裁判所は、検察官の主張に捉れることなく、独自の罪数判断にしたがって法令の適用を示すべき職責と権限を有するのであるから、主文における無罪の表示の要否は、検察官の公訴提起の際の意思によってではなく、最終的に到達した裁判所の罪数判断を基準として判断されるべきである<東京高判昭和四〇・一一・二六高刑集一八巻七号七八六頁参照>。もっとも、この場合、検察官が一罪として起訴した甲乙両事実のうち乙事実の証明がないときは、不存在の乙事実と甲事実との罪数関係について実体法を適用することはできない筈であるから、手続上はこれを一罪として取り扱うべきであり、無罪の部分については主文に掲示すべきではないとの反論があり得るが、少なくとも本件のように、併合罪関係に立つべき実行行為者の甲、乙二罪を証拠上認定し得る事案において、裁判所が、乙罪のみにつき被告人の共謀加担の事実を肯認し得ないとして無罪の判断をするときは、裁判所が、自らのした右罪数判断に従い、主文において被告人の無罪を宣告することに、何らの支障はないと考えられる。)。

よって、主文のとおり判決する(求刑 懲役八年)。

(裁判長裁判官木谷明 裁判官久保眞人 裁判官大島哲雄)

別紙一

一 起訴状公訴事実には、C方前路上、「ジャンボ」駐車場内及び元荒川土手付近という三個の現場(以下、「第一現場」ないし「第三現場」という。)における各暴行又は傷害致死の事実が記載されているが、右三罪の罪数関係如何。

二 第一及び第二現場における各暴行に基づく受傷の結果については、起訴状に何らの記載がないので、検察官は、右受傷の結果については公訴を提起していないものと理解されるが、そのように理解してよいか。

三 平成二年九月七日付釈明書によっても、起訴状と冒頭陳述のくいちがいは解消されていないが、起訴状と冒頭陳述でこのように矛盾した事実を主張することは許されない筈であるから、いずれかに主張を統一されたい。

四 取り調べずみの証拠によると、第一、第二現場におけるAらの暴行も、殺意に基づくものとされているが、検察官が、右証拠と矛盾する主張をあえてするのは、いかなる理由によるのか。

別紙二

一について

Aら実行共犯者が、終始被害者Cを制裁するという同一の意思に基づき、短時間内に継続して暴行を加えたものであり第一現場から第二、第三現場に移動したのは、制裁を加えるのにより適切な場所を選定したものであって、一罪の関係にある。

二について

被告人を傷害致死罪として起訴したものであって、前記のとおり、第一ないし第三現場における犯行を一罪と認定した上、被害者の死亡の主原因を記載するをもって足りるものと思料し、起訴状に「窒息死」のみを記載したものである。

起訴状に第一ないし第三現場における暴行の具体的事実を記載しており、右各現場において起訴状記載の暴行により被害者に受傷の結果が生じていることは明らかであり、検察官はこの受傷事実についても公訴を提起しているものである。

三について

本件は、取調べ済みの証拠及び起訴状の記載で明らかなとおり、被告人が被害者Cに対する制裁を命じ、実行共犯者らが、その制裁を行ったもので、この共犯者らの殺意の意思は、右制裁命令によって生じたもので、矛盾しないものと思料する。

四について

共犯者Aらが殺意をもって第一現場、第二現場において被害者に暴行を加えた事実はAらの自白などによっても明らかであり検察官は右証拠と矛盾する主張をするものではない。なお、冒頭陳述書には前記Aらが殺意をもって第一現場、第二現場において被害者に暴行を加えた旨の記載がないのは冒頭陳述書の記載が被告人の犯意及び前記Aらとの共謀を中心としたためであって、右Aらの第一現場、第二現場の暴行が殺意をもってなされたことを否定するものではなく、前記Aはスナック「しろ」においてNから被害者に対する不満をぶちまけられたことから被害者を殺害しようと決意したもので他の共犯者らも喫茶店「○△」に集合した際、被害者に対する殺意を抱いていたものである。

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